로그인「マスター!?」 痛みに耐えるターンに入ったガスを放置して階段を駆け上がった花火が勢いよくドアを蹴破るとそこにいたのは血だらけで突っ立っている豹虎を抱きしめてグズグズ泣いている阿座上泰良、そして何をどうしたらいいかわからずただ座ってそれを見ている少年メビだった。「……マスター!?」「二回も言わんでええ」 落ち着いた口調で突っ込まれ、そこでようやく花火は全てが終わったのだと察する。豹虎を狙う反社会組織パランティカ・シータのボスと殺し屋を打ち破ったのだから。「やー、すごいことになったね」 花火や二兎に続いてこのボス部屋に踏み込んだのは、事態を最後まで静観していた嶌崎志麻。途中で暇になったのかコンビニでパック酒を買って飲みながら来たので緊張感がまるでない。「……すごいことになったね!?」「天丼やめぇや! あと泰良お前さっさと離れろや変な誤解生んどる!」 泣いてる場合ではない。ここに辿り着くまで、あまりにも謎が多すぎた。なぜ豹虎が狙われていたのか、消えた二十億とは何なのか。「全部聞かせてくれ、泰良。俺らは今何に首突っ込んどるんや?」「……それは」「頼む。このまま警察に引き渡したら二度と会えんくなるかもしれん」「けい、さつ?」 少し落ち着きを取り戻したはずの泰良の様子がおかしくなったのは、豹虎のその言葉を聞いてからだった。「待て、それだけは駄目だ。今あいつらのところに行きたくない」「あ? ちょお待てや、今更駄々こねてもしゃあないやろ」「違う! 警察だけは駄目なんだよ……!」「あのさあ」 話に割って入ったのは志麻だった。泰良でも豹虎でもなく、窓の向こうをじっと見つめたまま静かに質問を投げかけた。「向かいのビルの窓からずっとこっち見てる人、あなたのお友達か何か?」「──え」 泰良が返答のために声をあげるより早く、銃声が鳴り響いた。そのけたたましさは窓ガラスを弾丸が貫く音をかき消し、「ぐあっ……!?」 阿座上泰良の左肩の肉を弾き飛ばした。「……! 今の」「キラキラ、てめえ!」「素人が喋んな」 志麻は酒のパックをいつのまにかリボルバーに持ち替え、冷たくそう言い放った。 泰良の悲鳴を聞き届けるわけもなく、再びガラスが割れて第二射が侵入する。が、その弾は泰良の身体をすり抜けて廃ビルの壁に風穴を開けた。「師匠……!?」 この場
阿座上泰良という人間は存在しない。存在するのはただ「阿座上泰平の息子」という肩書きだけだ。泰良はそう思わざるを得ない生き方を強いられてきた。 極道の二世が幸せになる道はない。天から授かった手前の身分をたいそう気に入って贅沢三昧をすれば良いのだろうが、泰良が抱えている欲望はそれで満たされるほど単純なものではなかった。(……親父) 承認欲求。それも自らの父親に認めてもらうというありふれた子供の抱える欲求。しかし、暴力の世界に産み落とされた泰良の欲望は歪んだ方向に向けて成長していくしかなかった。 力で証明する方法しか知らなかったのだ。 暴力、薬物、風俗、使えるものは何でも使って泰良は阿座上組長に尽くした。間の悪いことに、当時の若頭のことを組長はたいそう気に入っていた。だから若頭が躍起になっていた仕事《しのぎ》を潰して指二本詰めさせた。 本当はたった一言、「お前は自慢の息子だ」と言ってくれればそれだけで済む簡単な話だった。「泰良……そういうことじゃねえんだよ」 その言葉が何を意味しているのか知りたくて、泰良は裏のルートで知り合った殺し屋に頼んで自らの父親を拷問に掛けた。呪詛のような言葉は何一つ「聞きたくない」と一蹴して、得られたのは阿座上泰平は最期まで自分を認めてくれなかったという結果だけだった。「知ってるか、メビ。俺の血の半分は親父のものだが、もう半分は台湾人の血らしい」 昔、少年とそんな話をした。 妻との間で子供に恵まれなかった泰平は、自分が種無しじゃないことを証明するために台湾人の愛人に子供を産ませたのだ。 そこに愛があったのかは知らないが、人でなしはそうやって生まれた。 渡り蝶はそういう人間の集まりにしたかった。だからはぐれもののガスやメビとはいつか親友になれるとさえ感じていた。 メビは自分と同じだと本気で思った。米兵の息子だが自分の居場所に疑問を持ち、悪どい真似で大人の気を引こうとした少年。だから本当に深く愛着を持っていたし、俺に嘘をついて隠し持っていたライセンスも放っておいた。あれがただの純日本人の子供なら爪を剥いで殺していた。 そして阿座上泰良の暴力性は、殺し屋がいる深層と繋がったことで大きく加速した。原始人が火を知ったときのように泰良の世界は一変した。 ライセンスを持てば俺がしてきたことを司法が認め
殺していいならワンパンだ。ガスの脳天に鉛玉をぶち込んでそれで終わり。 でも話はそううまくいかないのだから、花火は頭を使って冷静に状況を見る必要がある。 焔の殺し屋ガス。身の丈ほどあるボンベに車輪を付けたものに繋がれた二本のガスバーナーは灼熱の炎を絶えず吐き出している。それこそがガスという殺し屋の存在証明だ。 試しに花火は廃ビルのいたるところに置いてある観葉植物の入った鉢を投げつけてみた。 志麻いわく、ガスバーナーは殺し屋生協から卸された特注品らしい。鉢を叩き割って粉々にしてもバーナーには傷ひとつない。 ふんふん、なるほどなるほど。「っし、お願いしまーす」 クラブから調達したアイスピックを構えて花火は駆け出した。デスクの上に跨り、跳躍し、ガスの露出した目めがけて突きつけ、「ッ……!」 その身体を炎が焼いた。耐熱性に優れたマウンテンパーカーが火の手から身を守るが、その熱は尋常でない。一瞬触れただけで痛みにもがき苦しんで、その隙に全身焼き尽くされて終わりだ。 不用意に近づいたら死。ガスの間合いに踏み込むことは容易ではない。花火は床を転がって衝撃と火を消して向き直った。「一番簡単なのはガス切れを狙うこと」 志麻の言葉を頭の中で反芻する。「ただし、今から君たちが踏み込むのはいちおーシータの本拠地。当然ボンベはフルチャージされてると思った方がいい」 ガス欠と花火のスタミナ切れ、どちらが早いかの勝負。真正面からこれと戦うならそういうつもりで作戦を組む必要がある。 だが、ダラダラ戦っていると豹虎が危ない。 というかなんで主人は独断専行してるんだ? ガスを倒してから三人で行くつもりだったのに。「まあいいや」 やることはいつも通りシンプルだ。 どうにかして死なない程度にボコボコにする。 それだけ、以上。花火はオフィスデスクの上に飛び乗ると獣のように四つ足で身体を支え、ガスの側頭部に思い切り蹴りを打ち込んだ。「いっ……!?」 焼けるような痛みとは反対に火が消えていた。赤熱する鉄のパイプとなったガスバーナーが花火の脚を止め、弾き返したのだ。「おい消すとか聞いてない、暗い!」「俺は夜目が効く」「聞いてないし……!」 ただ人を殺すだけならガスの炎で焼き尽くせばいい。だが、間合いを縦横無尽に動き回るカビのような殺し屋に対しては時に無用の長物
姉崎は大きい街だが、治安の悪い区画がそのほとんどを占めているわけではない。 司法が目を光らせる犯罪領域よりもっと深くにある深淵《ディープ》領域。本物のアンダーグラウンドに数えられる場所は地図上で明確に区分けできるものではなく、各地に点々と存在している。 それで言うと、幸区のクラブ・リンダを中心としたパランティカ・シータの領域は姉崎の裏社会で最大に近い規模を持っていた。インターネットを媒介として極めて大きな広がりを見せる深淵領域と違い、暴力団を継承するシータには自分たちの縄張りを重んじる精神がどこかにあった。 それを良しとしなかったのは主たる阿座上泰良ただ一人であった。「……有り得ねえ」 泰良は阿座上組の武闘派を束ねるリーダー。 だが頭の弱い武闘派連中が泰良に従ったのは、彼のカリスマやリーダーシップに惚れ込んだわけではなかった。 打算。泰良が阿座上組組長である阿座上泰平の息子だった、その一点だけ。少なくとも泰良はそうとしか思えないような人生を送ってきた。「若」という呼び名を無理やり改めさせ、右腕に殺し屋を置き、女子供を組織に取り入れ、そうやって悪の親玉として成り上がろうと必死になればなるほど、惨めだった。「なんでこうなった。なんでこうなる……」「タイラー……?」「黙れ!」 バチッ、と少年の顔が擦りむく音が無人の廃ビルに響いた。ここの四階が泰良の隠れ家だった。管理会社を脅して用意させた廃墟の下の階は無人。三階をガスに見張らせて自分とメビだけがそこにいた。 まるでダンジョンだ。さしずめメビは囚われのヒロインで、自分は邪悪で弱いボス。「キラキラだと……!? なんでお前の周りばかり寄りつく……!」 ガスに伝えられたあの金髪女、嶌崎志麻という殺し屋の異名。殺し屋を殺す者。警察や検察が犯罪領域の番人なら、彼女のようなトップクラスの殺し屋こそ深淵の番人。「ああ……メビ……殴って悪かった。でもお前とガスは俺の味方だよな? 俺と同じ生き物だ」「……」「汚い連中とは違う。それなのに、あいつは」 最強のカードをなぜお前が持っている。「一色……豹虎……!」 髪の毛を掻きむしる爪が皮膚を裂いた。どくどくと浅い傷から血が流れていく。 仲間の連絡であのクラブに警察が踏み込んだことも把握していた。二人の殺し
本当に死ぬかと思った。 身体中の全部の水分が内側から押し寄せてきてそれを流しの冷水を被って押し返す攻防を十分弱続けてようやく豹虎が感じる痛みは和らいだ。 催涙弾は拷問弾とかに改名したほうがいい。「マスター?」「ハア……はあ……」「ごめんってば」「なんで俺いつも顔ばっか狙われるん……」 蒸しタオルで顔を思い切り拭いて、ついでに流しで髪も洗った。ピンクの染料がシンクを染めたが、構わない。変装はもはや意味はなかった。「……水も滴るいい男って股間から水が滴ってる場合もいい男判定されるのかな」「また何の話をされてます?」「ギリいけるんじゃない? 知らないけど」「花火が適当なこと言うからこんなんがつけあがんねんぞ……!」 こんなんは阿鼻叫喚のクラブでカウンターに乗り込み、お眼鏡にかなったウイスキーをテーブルに置いて炭酸水を冷やし、ロックアイスを手元のナイフで削り始めている。「無銭飲食」「そこでぶっ倒れてるお兄さんに許可もらったからセーフ。殺し以外でライセンス使う気ねーし」 花火のぼやきに近い指摘をさらりと流す。 嶌崎志麻。花火の師匠に当たる最強の殺し屋。「て……てめえら、タダじゃすまねえぞ……」 ざりり、ざりりと氷が心地よい音を立てて削れていく中、一番最初にあの地獄みたいな弾を喰らった男が呻き声に近い様子で吠えた。「ほらめっちゃ怒ってんじゃん」「そういうことやないと思うで花火」「こっちにはタイラーの殺し屋が付いてんだ……てめえら全員死んだな、は、ははは」 堪え性のない花火が一歩前に踏み込んだのを制止し、「このまま喋らせとけ」と耳打ちした。「そのタイラーと殺し屋はまんまと逃げたわけやが、どう思う?」「馬鹿言うな。拠点に戻っただけに決まってる」「ほーう。ということは拠点はすぐ近くだな」 今の声は豹虎のものではない。こちらはといえばクラブに踏み込んできた男を見るなり「やば」と一言だけ口にしてカウンター下に隠れた。「殺し屋に掛かればお前らなんか……あの警官みたいに焼き肉にされて終わりだ。死ねクソが」「おーそうかそうか」 入ってきたのは一人だった。無精髭にミディアムパーマ、精悍な目つきをしたスーツの大男。タールのきついタバコ特有のバターのような匂いを漂わせ、シータギャングの前に跪いて笑った。「手間が省けた。殺し
「……ん〜〜〜」 両手の人差し指の第二関節をこめかみに当て、ぐりぐり回して頭の中を整理する。「二兎はケーサツ。パンツ泥棒はメビっていう男の子で、シータで悪いことやらされてる」「パン……何ですって?」「よくわかんないけど、わかったことにする」 賽原花火は二親等以上の人間関係がいまいちわかっていない。そもそも孤児なので本当の家族が誰なのかも知らないし、家族と呼べるのは師匠ともう一人くらいのものだった。「二兎はメビを助けたい。マスターもメビを助けたい。そういうことね、なるほどなるほど」「……?」「じゃあわたしが二兎のこと助けてあげるね?」 脳内会議はその方向で帰結した。どのみちライセンスも二十億も阿座上泰良の一味をぶっ潰さないと進まない問題だ。 だったら目の前の「やらなきゃ」をやるだけ。「もちろんメビのことも」「……花火さん」「どした?」「ありがとう、ございます……」 花火なりに普通の人間らしい振る舞いをしただけのはずが、二兎がまたぽろぽろ泣き出したので狼狽えた。正真正銘の表社会の人間と話すのは初めての体験で、とても困る。「ずっと怖くて、どうしたらいいかわかんなくて……」「それはわたしも同じだよ?」「え……?」 黒髪まで濡らしてしまうほど泣き腫らした目で二兎がこちらを見る。「怖くてもわからなくても、やるしかないから。わたしたちはずっとそうやって生きてきた」 花火は孤児として生まれ、組合に拾われて師匠と出会い、それから殺し屋として必要なことだけを教えられて育った。だから花火の意思に関係なく、殺し屋として生きるしかなかった。 そうしないと生きられない。ああ、既視感の正体がわかった。今のメビと同じなんだ、わたし。「……じゃあ助けなきゃダメじゃん。絶対に」 その時、空気が一変した。トイレの外からくぐもった破裂音が聞こえたからだ。「!? 今のって」「二兎は中にいて」 続け様に二発。銃声だと確信した花火が警戒しつつドアを開けると、通路には誰もいない。「メビ……!」「あのさ」 そこにいるはずの少年の影を見失い、二兎こ取り乱した口元を花火は片手で押さえ込んだ。「邪魔だから隠れてろって言ったの」 二兎が置かれている状況はぜんぶ聞いた。 クラブ・リンダの中がどうなってるかわからない以上、このトイレだけが安全圏だ。花火には豹虎